月峨の娘
              〜 砂漠の王と氷の后より
 


     2



 完全休業という訳でもなかったか、それでも遅い朝食を共に取ってから、執務へと向かったカンベエを見送り、さてと。長居をしても誰に怒られるという訳でもないものの、王の居室の他には出られないのは詰まらぬ限り。そちらは控えの間にて一夜を過ごした侍女を連れ、後宮へと戻る回廊にて、

 「…………。(……お)」

 ちょうどすれ違うような格好で、後宮の方からやってくる人影に気がついた。丁度 正午時分というこの頃合い、後宮の誰ぞへかに伝言でもあったもの、渡しに運んだ女官ででもあるものか。いやいや、覇王様はほんのさっきまで自分とご一緒していた身、今頃は執務と向かい合っているはずで。妃の誰かへ付け文を書いて届けさせるほど、そうそう緩んではないと思うし、

 “シチになら、判らんでもないことではあるが。”

 それほどまでに麗しくも魅惑の婦人だと、もしかしたらばカンベエ以上に認めておいでのキュウゾウが。だからこそ、さほどまで奇異なこととは思わずの遣り過ごしかかったその人影は、

 「キュウゾウ様、御機嫌うるわしゅう。」

 覇王様の伴侶、妃様を相手に、立ったままでのご挨拶なぞ不遜の極みと。あと数間を残して立ち止まると、その場に両のお膝を突いての半架の構えを取り掛かったが、

 「いや…。」

 それはいいと遮るように、キュウゾウの側からこそ足早になり、すぐの間近にまで近寄った相手こそ。甘い色合いの赤毛にふくふくした童顔なのも愛らしく。とはいえ…確かキュウゾウよりもずんと年上の筈な、ヘイハチという名の……実は此処だけの話、第二妃様でおわしまし。とはいえ、覇王様と閨を共にするという間柄では全くなくて、そこいら辺りからして微妙な事情をお持ちの存在で。

 “キュウゾウ殿?”

 彼女もまた、ちょっとした事情があってこちらの覇王の元へと嫁いだ身。心に決めた殿方がいて、だが、そのお人は冒険好きな血の騒ぎには逆らえず、遠い海原へと旅立ってしまい、音沙汰もなくなってどれほどか。時折涙ぐむほどの心痛を抱えたそんな姫へ、不意な求婚話が飛び込んで来。相手は新興国の野心家の皇子、どう推し量っても政略的な香りしかせぬ強引な嫁娶りに、ずっと国のためにばかり生きて来てのこの流れはあまりに不憫な不運よ不遇よと。娘を哀れに思った父王から、哀願にも似た相談受けた覇王カンベエ。成程それは気の毒と、彼らへ想い添わせての窮余の一策を思いつき、急な婚姻を申し出て来た相手へは、実は前々から約束のあった姫だけに、こればかりは譲れぬという横槍を入れ、攫った格好の姫には“此処でその人を好きなだけ待てばよい”と、手厚い庇護の翼を広げて下さった。そうしてそのまま、数年ほどが経ったつい先日。随分な奇縁が巡り巡って、もしかしたらば もう今世では逢うことかなわぬかと諦めかけてたその人に、もしかしてこれはご褒美だろうか、ひょこりと逢えた最高の幸いが、正真正銘の奇遇という格好にて訪のうたばかり。そして、その際に、こちらの第三妃キュウゾウにも、そういった“事情”はすっかり明かした彼女であり。

 「あの…。」

 キュウゾウの最も傍につく侍女にさえ、彼女が実は第二妃だという事実をまだ明かしてはない関係上。これまでそうして来たように、執務に携わる女官でございますという態度、お顔をヴェールやヒジャブで隠すこともなく、しかもしかもキュウゾウへの礼儀を示さねばと頭を下げての視線を合わさぬようにと構えかかったヘイハチだったものの、

 「〜〜〜。」

 そんな必要はないという意味か、はっきりとかぶりを振った彼女が、しかもずいと歩みを寄せて来た。ちゃんと打ち合わせはした筈なのにな、しかもシチロージが同席した場で綿密にと。ありゃありゃあと この流れへ面食らいかかったヘイハチだったものの。そんな動転からか、そちらさんもうっかりと、身をかがめ損ねての立ちん坊になってたところへ歩み寄った烈火の姫君。品こそあるが実用的な、いかにも女官のまといそうな厚絹の装束の胸元に、ついつい伏せかけていた手の片方。手首ごと むずと掴むことでますますと身を寄せたそのまま、

 「     。」
 「………え?」

 この地の灼くような陽射しの中では、幻のように淡くけぶって見える金の綿毛を、これも気ままな風になぶられつつも、何事かをぼしぼしぼしと耳打ちして来た、寡黙な第三妃様。唐突さへか、それとも言われたことへの意味を掴み損ねてか、キョトンとしてしまったヘイハチへ、無表情のままの…といってもヴェールで覆っておいでなので唯一覗く目元でしか判断は出来なんだのだが…そんなお顔を向けると、傍目には随分と無造作な所作にて手を放し、何事もなかったかのようにすたすた後宮へ去って行くばかりなキュウゾウ妃だったりし。

  「………………えっとぉ。」

 一連の行動があまりに鮮やかだったため、文字通りの置き去りにされた女官を肩越しにちらりと見やった侍女としては、

 “姫様のお気に召したのかしらね。”

 扱いがやや荒っぽいからと言って、それが決して傲慢さや喧嘩腰からじゃあないこと。むしろ、関心寄せたは珍しい…と把握出来るほどの侍女殿が得た感触は まんざら遠くはなくって。それが証拠に、

 「おはようございます、キュウゾウ殿。」

 覇王の居室や執務室のある王宮表宮と、妃らの住まう後宮をつなぐ、屋根つきだが開放型の回廊の末。横手へ広がる緑豊かな中庭
(パティオ)からのお声がかかり、その途端という素早さで“ははあ”とこちらの侍女がひざまずいたは、位の高いお方がいたから。春を越えたことで緑もますますと色濃い中から、そのお顔を見せたのは、

 「シチっ。」

 瑞々しさでも緑の若葉に負けはせぬ、それはそれは麗しき肢体を今日は淡色の紫のケープにくるみ込み、僅かに覗く青玻璃のすわった目許や品のいい白い手元を、辺りの新緑に際立たせて立っておいでの。氷の宮様こと第一夫人のシチロージが、薄絹のヴェールを透かし、にっこりと頬笑んでいたのに迎えられ。威容に凛と構えていたはずの第三妃、あっと言う間に口許ほころばせて駆け寄る様は、年端の行かぬ幼子のよう。そんな姫をば笑顔で迎え、

 「一体 何をお話ししていたのです?」

 大方、ヘイハチを見送りがてら、此処まで出て来ていた彼女であったらしく。よって、先程の二人の様子も見えていたに違いない。そうと訊かれて、だが、

 「〜〜〜〜〜えっと。///////」

 悪口や何や、誰ぞかを嫌がらせるような物言いは、しない…というより出来ない寡黙な姫だ。ヘイハチとも…最初こそ“騙していたな”という反発の感があったらしいが、すぐさま馴染んでしまっての、今はずんと仲よくなっていたはずで。なので、その方向では案じていない。むしろ、何か楽しいことでは?との憶測から、訊いてみたところが、


  「〜〜〜〜〜〜。(…苦笑)」


 おおお、さすがは猛獣使い、もとえ、第一妃様。愛らしくもたどたどしい含羞みを、そのすべらかな頬へと浮かべた烈火の姫が。内緒よ?内緒と上目遣いにて念を押してから、おもむろに耳打ちして来た内容へ、

 「…………あらあらvv」

 こちら様には素早く通じ。たちまちのうち、花のような高貴なお顔を温かくほころばせの、それは楽しげに微笑ってしまわれたものだから。

 “え? え? え?”

 それはそれは無愛想、無表情にして寡黙な姫が、一体どんな冗談をお言いになったのか、と。それへこそ衝撃受けた侍女だったそうで。後宮の侍女や女官の控えの詰め所では、しばらくほどその一件が取り沙汰され続けたそうでございます。そしてそして、その真相はというと………。



     ◇◇◇


 氷の国からお越しの正妃様、傾城の佳人シチロージに続いて覇王様に娶られし、それは光栄な第二妃でありながら。だというに、カンベエ様からのお渡りへのお召しもないまま、自分にあてがわれた宮に引き籠もっておいで…との噂を巧妙なカモフラージュに利用して。匿われているばかりでは心苦しいとばかり、昼の間はその豊かな知識を発揮して。諸外国の言語や慣習に詳しいところから、外交関係の資料を作成したり、機巧に造詣が深いところから、農耕や家内作業への今時の先進機巧が取り上げられれば、それへの解説をと務めたり。腹心の一員、政務官として覇王様の間近に身を置き、あれこれと細かい補佐に務めておいで。勿論、そのような場に后が出てくるなぞ前代未聞。それどころか、国の行く末を決する重要な政務へ女が口出しすること自体、まだまだ言語道断という時代なので。あんまり人の目のない王の執務室か、その控えの間に身を置き、あまりお顔を見せないでいるという、後宮と大差無い立場においでのヘイハチ様ではあったれど。

 『いえいえ。
  新しいご本や絵画に地図など、
  真っ先に拝見出来るのは、この上ない至福でございますvv』

 それでなくとも…広大な領地を治める覇王様の手元へは、様々な情報なり先進の流行ものなりが先を争うように届けられるので、それ全てへと眸を通すだけでも、相当に時間を要する大仕事。そもそもあんまり事務はお好きでないカンベエ様だということもあって、どうかするとご自身さえ未読な書物を先に読めと頼まれて、あとあと概要を説明するという形さえ出来上がっているほどで。

 「……という事象とその報告が綴られておりました。」

 今日も、まずはと昨日渡された書物の概要をご説明し、特に目新しい記載はなかったようでと報告すれば、

 「そうであろうな。」

 何とはなく予想はあったのか。樫の木の大机に肘をつき、その大きな手にて顎を支えておいでの覇王様、どこか気のない返事を返される。というのも、その書物はさして親しくもない外国の大使が、ご機嫌伺いにと贈って来た代物で。近年の欧州では、国家の支援つきで大海原へと乗り出す航海が盛んだとのこと、それへまつわる話かと思ったらしかったものの、

 「この筆者は小説作家として有名な御仁だ。」

 だからして全てが作り話だ…とまでは言わないが。こうまで分厚い書物に綴った冒険を、その身で実体験して来た暇はなかろうから。おおかたは伝聞をまとめて編纂しただけであろうと踏んでいた、カンベエ様だったようであり。そんなお言いようへこそ“あらまあ”と、それってどういう料簡でございましょうかと言いたげに、金色に透いた瞳を片方、大きく見張った男装の政務官殿へは、

 「冒険譚なら、もっと実のある話を山ほど体験しているだろう存在がおるのだ。」

 だから、何なら使いを出して、その書物のあちこちに間違いはないかと刷り合わせるため、執務室まで呼んでもよかったのにと。カンドーラに重ねたビシュトという上っ張りの、濃色の袖へ紛れた顎のお髭を撫でながら、微妙に冷やかすようなお顔になったのが、

 「う………。////////」

 遠回しにからかっておいでだと、判ると同時。そのまま想起したその人物へ、想像だけで真っ赤になってしまうヘイハチで。長い長い間、その無事と再会をただただ祈っていた想い人。世を偽っての嘘の婚儀を図ってまでも、他の殿御へは嫁ぎませんとの“操だて”までし…というのは大仰だけれど。そのくらいに想いをつのらせていたお相手だけに、再会が果たせたことは、いまだに胸がドキドキしてしまう大きな出来事なのだもの。話題にされるだけで こうまで圧倒されてもしょうがない。

  ちなみに

 あまりに呆気なくもひょっこりと。出会う機会を持てての以降も、今のところはこの城下に留まっておいでのゴロベエ殿で。正式な立場は、キュウゾウの生国、炯国の弁務官ヒョーゴ殿の補佐役であり。特に問題のあるお立場でも人物でもないのだが、だからこそ…そうそう王宮へ運ぶことも、ましてや覇王様の傍づきの政務官とそうそうひょいひょいと逢うというのも叶わぬこと。

 『何ならヘイハチの母国へこそりと戻っても構わんのだぞ?』

 国元のご両親もご案じなさっておいでかもと、そうと水を向けられもしたカンベエ様であり。ゴロベエ殿の身にしても、炯国の一員という肩書でなら、行き来にも支障はなかろうしと付け足されたものの、

 『ですが…。』

 こちらへと嫁すこととなったその発端。かつてヘイハチへ婚儀を迫った某国の眸が、そのようなこと見逃さぬのではありますまいかとの懸念を口にすれば、

 『そちらはそれこそ大丈夫。』

 シチロージがくすすと笑い、

 『何しろ、この国との交易関係を結ぶことで
  あっさりと鉾を収めたお国だし、
  今はあの殿下、とある国の姫様へ、
  それは猛烈果敢に求婚なさってる最中だそうだし。』

 だから、外聞という点での問題は一切ありませんよと言い足したものの、

 『…ただ。それこそ虫のいい話かも知れませぬが。』

 出来ますならば、このまま此処へ居続けてほしいと、我儘ながら私は思っておりますがと。やさしい笑みもて包み隠さぬ想いを伝えて下さった正妃様だったのへ、ヘイハチもまた、今や離れがたいと思っていたことを告白し、以前と何ら変わらぬ日々を送っておいでで。

  …なので

 日頃、一応は臣下として恭順の態度を貫くが、自分の得意な専門分野の話になると、ついつい つけつけと言いたい放題もして下さる彼女なのが。ここ最近、こういう方向へと話を持ってゆくと、打って変わってそんな初心なお顔になるのがカンベエには面白いのだろう。ふふんと笑っておいでなのが…だが、決して困らせたくてのそれじゃあない。せいぜい冷やかしてのこととは、第二妃様とて判っているが、笑われている側には…それこそ慣れない話題だけに、微妙に恥ずかしくってしょうがない。

 “そうだった。シチさんがいつもいつも言ってらしたじゃないか。”

 カンベエ様は決して悪い人じゃあない。それはそれは寛容で誠実、敵に回せばただただ恐ろしいばかりの御仁だが、懐ろへ匿った存在へはこれほど頼りになるお人はない…のだけれど。時々、心許した相手に限って人が悪いところを見せると。それを一種の甘えだと、余裕で解釈出来る、そちらもまた懐ろの尋深き第一妃ほどのお人でも、いまだに振り回されることはあるようでのそれでだろ。時に愚痴に近いお言いようが、あの紫の宮様からも出るほどの大タヌキ様なのだから、と。いつものように遣り過ごすかと、諦め半分思いかかったその刹那、

 『     。』
 『………え?』

 先程、後宮からの渡り回廊にてすれ違ったおり、キュウゾウの囁いた一言を思い出す。本当に咄嗟の閃きのような想起であり、いまだに微妙に意味が分かりかねたことだったのだけれども。

 “…………えっとぉ。”

 立派な大机は結構広さもありはしたが、さりとて会議用の円卓ほどもの面積はなし。手を延べればさして無理はせずとも相手へ届く。こちらは丸腰の女の身なんだし、ましてや少なからず信頼置かれた間柄、のはずだから。そうそう警戒してのササッと逃げる、もとえ躱されるとも思えない。そんな無様で臆病な警戒、むしろ心がけていてほしいと近衛の隊長が時折わざわざ進言するほどに、いつも鷹揚に構えておいでの覇王様だし…。

 「……あの。」
 「んん?」

 試しに…というほどのことでなし、それでも一応は断りを入れた。曰く、

  「肩にゴミが…。」

 言いつつ、左の二の腕をペチッと。蚊がとまっておりますよという程度の強さで叩いたところが。

  「〜〜〜〜〜〜〜。」

 わざわざビシュトや、その下にお召しの白いローヴ、カンドーラをめくっていただかずとも、それはそれは雄々しくも鍛え抜かれた腕をしておいでのはず…が。ちりりという痛みが走ったと言わんばかり、それは判りやすいリアクションが返って来。しかもしかも、一応は息を詰めたところを見ると、あんまり口外したくはなかった代物だったらしくもあり。反射的な痛いという表情がされど不自然に固まったのは、実は隠しておきたかったご意向の現れか。

 “日頃だったら、特に隠したりは なさらないことなんじゃあ。”

 怪我だの打ち身だの自体、滅多に負わないお人ではあるが。それでも そういう時は、無理から平気だと言い張っての意固地にならず、勘が鈍ったか参ったことよと苦笑交じりになって、素直に手当てをさせて下さるお人だったような。とはいえど、

 『奴の左の二の腕へ咬みついてやった。何かあったら叩いてやるといい。』

 聞いたときはお惚気かと思ったが、筋骨逞しいカンベエの腕が相手だ。よほどにしっかと意志もって咬みついたのでもない限り、そう…睦みの折の甘咬み程度では、こうまで痛がるはずはなし。

 「…キュウゾウに聞いたのか?」
 「といいますか。」

 あのような幼妻相手に、何やってますか、カンベエ様と。困らされたことなぞ一気に吹き飛び、くすすと苦笑をしてしまうヘイハチ殿だったりし。そしてそして……。







  「……シチは。」

 カモミールという、これも欧州から取り寄せたいい香りのお花を、中庭
(パティオ)の一角にて愛でていた、第一、第三、二人のお妃様。どちらも金の髪に白い肌、透き通った瞳という、この地にあっては相当に珍しい色彩の、もっと陽の光のやさしい地、北方の生まれを思わせる姿をしておいでで。そうであったのは全くの奇遇ながら、それでも此処で出会えたことには何かしら、奇縁のようなものを感じずにはおれないものか。互いの気性にもすぐ馴染んでの、今は姉妹のような睦まじさで接し合ってる間柄。畏れ多くも覇王様へと他愛ない悪戯を仕掛けたり、ヘイハチも勿論加えてのこと、何かしら内緒の申し合わせをし、彼女らだけの秘密とし、睦まじさをこそひけらかしたりと。それはそれは屈託なく過ごしておいでの彼女らだったが、

 「シマダの寝顔、見たことがあるか?」
 「……………え?」

 かつて仇敵としての把握をしていた頃の最後の名残り、あのカンベエを…彼女の居た城へと攻め込んで来たおりの仮の名で、依然として呼ぶキュウゾウが。それにしては、そんな甘い話を持ち出したことへこそ、ややもすると意外に感じて、ついつい即答出来なかったシチロージであり。ああそうまで、あの激しかった敵愾心はとうとう完全に拭われたものかと思うと同時。所謂“お惚気”を、この彼女がしかも自分を相手に口にするとはと、人も変われば変わるものだななどと、その成長へ、ちょっぴり…チクリとした何か、感じなくもなかったものだから。

 「………。」

 細い眉をほんの少しほど震わせてしまわれ、そうやって ほんの一瞬出遅れた、正妃様からの応じを待たずして。烈火の姫は淡々としたお声で、まるで…屈み込んだことで目線の高さが合っていた、手元のお花相手に語りかけてでもいるかのように言葉を続けて。

 「俺は一度もない。」
 「え?」

 今度の応じは素早くて。だってそんな、昨夜だって覇王の元へと呼ばれたのは彼女だったのだし。時折寝坊することも多かりしなキュウゾウだと聞かなくもないけれど、そうそう毎度毎度朝も早よから執務ばかりに追われておいでのカンベエでなし。ゆっくり出来るからこそのお渡りだってあるはずだろと、頭の中をぐるぐるしていたあれこれを、だが、どの順番で語ればいいやら。何も飾らず、そんな馬鹿なと言える空気ではないような気がしてしまったシチロージへ、

 「あやつはいつもいつも、狸寝入りばかりしおって。」
 「…………おや。」

 確かに、此処へ迎えられた当初のころは、カンベエへと向けて真剣本気の殺気を帯びてもいはしたが。今はすっかり払拭されているのだし、そうであることへも薄々気づいていやるくせに。それでもなお、この自分へはそうまで油断がならぬと構えているならば、こっちにだって考えがあると。憤懣示すかのように、すべらかな頬をちょっぴり膨らませて見せた、それは素直な姫だったので。らしくもない悋気に胸がちりりと痛みかかったシチロージ、同じ胸元をこそりと押さえて安堵しておれば、

 「それで、さっき。」
 「さっきって…ヘイさんへの耳打ち、ですか?」

 な〜るほどねぇと。この、烈火の如くに激しくも直情的な、つまりはまだまだどこか判りやすいところの多い姫にしては、何やら含みのあった行動だったのへ。おや珍しいなぁと眺めていた“それ”の真相、こそりと聞くことが出来た第一夫人が…………。


  どれほどのことお笑いになり、
  しかもその後もしばらくは。
  覇王のお顔を見るにつけ、
  ツボに入って笑いがなかなか止まらなかったのは、
  言うまでもないことだったのでありました。




  〜Fine〜  11.05.07.


  *その後の皆様をちらりと…書こうとして、
   何でだか どんどんと長くなったのはどうしてだろうか、
   こんの欲張りさんがvv(誰?・笑)

ご感想はこちらvv めーるふぉーむvv

メルフォへのレスもこちらにvv


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